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リスクと共に生きる事≫
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アジョシ
2011.10.13 *Thu
過去を捨て、質屋を営みながら街の片隅でひっそりと生きる男テシク。世間との関わりを断ち切り、全てに無関心を装い、死んだように生きている。
隣に暮らすのは自分勝手な母親と幼い少女。
大人びた眼差しの少女の名はソミ。「おじさんの事嫌いにならないよ。だって嫌いになったら好きな人が一人もいなくなっちゃうもの」大人の男も骨抜きになりそうなそんなセリフを幼さの残る口調でさらりと口にする。けれど過酷な境遇が大人になる事を急がせたとしても、ソミはまだ幼い子どもである。どこにも支えがないまま必死で一人で立っている。
母親にも世間にも甘えられないソミが、世捨て人のようなテシクにだけはなつく。テシクにだけはわがままを言う。テシクはそんなソミにも心を動かされまいとする。それほどに辛い過去を彼は抱えている。
しかしソミが誘拐された時、テシクは、いつの間にか少女が自分にとってかけがえのない存在になっている事に気づく。一度は捨てた自分のアイデンティティーに立ち戻り、ソミのために、さらには自分の生を生き直すために、すべてをかけてソミの救出に向かう…。
個々のエピソードや登場人物の行動に、意外なものはまったくない。孤独な男が一人の少女を救うために命をかける。男は特殊工作員という過去を持っている。敵はどのようにぶち殺しても観ている人を含め誰の心も痛まない、とことん下劣な悪党だ。ハリウッド映画なら手垢がついているとも言えそうな予定調和である。
そんなありきたりな話を、片時も目が離せない、胸が締め付けられるような作品にしてしまうのだから、イ・ビョンボムという監督はただ者ではないと思う。
あらゆるシーンにゾクゾクする。素晴らし過ぎて震えが来る絶妙な演出。
残酷さに目をそらしたくなる暴力の、ぎりぎりの見せ方。あざとさスレスレのスタイリッシュな映像。長すぎると感じせさないぎりぎりの溜め。
不快と感じる直前の、境界線スレスレの感覚が最高の快楽なのかもしれない。それがあまりに気持ちよいと、“ちょうど良い心地よさ”などヌルいと感じてしまう。しかしそのような甘美は滅多に味わう事はできない。いや、ごくたまに味わうからこそ甘美なのであろう。
「アジョシ」は、そういう意味で、数年に一度出会えるかどうかという“甘美な映画”だった。
ウォンビンの鍛えられた肉体と、その肉体を駆使する“相手の息の根を止めるための格闘技”に心底痺れる。その見せ方が、格闘技など素人のわたしにも得心のいくリアリティを持って迫って来る。一番近い敵から撃つ事、ビビって逃げ出そうとする敵も息の根を止める事、小さなナイフで急所を確実に狙う事、心臓は何度も突き刺す事…。ガチの戦闘で敵をどう“殺す”かというリアリティをこれでもかと見せつける。それは残酷でありながら舞いのように美しい。
戦いに赴く前に髪を刈る時のがらりと変わる印象にも驚かされる。
隠遁生活を送るうちに厚く覆った殻を脱ぎ捨てるように、鏡の前で自ら髪を刈るテクシ。誰にも心を開かずに死んだように過ごしてきた日々から、再び覚醒した姿が立ち現れる瞬間の鮮やかさ。
余談だが、いわゆる韓流スターと言われる人たちは顔の印象が薄い人が多いように思う。正直他の映画でウォンビンを観たら、わたしにはわかる自信がない(笑)。しかしそれだからこそ逆に、衣装や髪型や表情で別人のように感じさせる効果があるのかもしれないと思った。
ソミ役のキム・セロン、健気でイノセントでありながらほのかな色香をも漂わせるこの少女には、賞賛あるのみ。許されるならただ抱きしめたい、テシクのように。
寡黙な“暴力マニア”のロワン、この毛色の変わった、テシクに匹敵する技を持った殺し屋がただ一人タイ人というのも、役を際立たせていて面白い。彼が最後にとる行動も不思議と納得できる。
古いタイプの悪党オ社長、とことん糞野郎な臓器売買組織のマンソク兄弟、役立たずな刑事たち、ソミの万引きを責めない駄菓子屋の主人等々、脇役も皆個性的で面白い。
最後に、ネタバレ(今更?)
ソミが生きていると分かった時、死のうとしていたテシクの瞳に一瞬光が宿るさまは、とことん押さえた演出(演技)が最大の効果を生む忘れがたい印象的なシーンで、とても感動した。
隣に暮らすのは自分勝手な母親と幼い少女。
大人びた眼差しの少女の名はソミ。「おじさんの事嫌いにならないよ。だって嫌いになったら好きな人が一人もいなくなっちゃうもの」大人の男も骨抜きになりそうなそんなセリフを幼さの残る口調でさらりと口にする。けれど過酷な境遇が大人になる事を急がせたとしても、ソミはまだ幼い子どもである。どこにも支えがないまま必死で一人で立っている。
母親にも世間にも甘えられないソミが、世捨て人のようなテシクにだけはなつく。テシクにだけはわがままを言う。テシクはそんなソミにも心を動かされまいとする。それほどに辛い過去を彼は抱えている。
しかしソミが誘拐された時、テシクは、いつの間にか少女が自分にとってかけがえのない存在になっている事に気づく。一度は捨てた自分のアイデンティティーに立ち戻り、ソミのために、さらには自分の生を生き直すために、すべてをかけてソミの救出に向かう…。
個々のエピソードや登場人物の行動に、意外なものはまったくない。孤独な男が一人の少女を救うために命をかける。男は特殊工作員という過去を持っている。敵はどのようにぶち殺しても観ている人を含め誰の心も痛まない、とことん下劣な悪党だ。ハリウッド映画なら手垢がついているとも言えそうな予定調和である。
そんなありきたりな話を、片時も目が離せない、胸が締め付けられるような作品にしてしまうのだから、イ・ビョンボムという監督はただ者ではないと思う。
あらゆるシーンにゾクゾクする。素晴らし過ぎて震えが来る絶妙な演出。
残酷さに目をそらしたくなる暴力の、ぎりぎりの見せ方。あざとさスレスレのスタイリッシュな映像。長すぎると感じせさないぎりぎりの溜め。
不快と感じる直前の、境界線スレスレの感覚が最高の快楽なのかもしれない。それがあまりに気持ちよいと、“ちょうど良い心地よさ”などヌルいと感じてしまう。しかしそのような甘美は滅多に味わう事はできない。いや、ごくたまに味わうからこそ甘美なのであろう。
「アジョシ」は、そういう意味で、数年に一度出会えるかどうかという“甘美な映画”だった。
ウォンビンの鍛えられた肉体と、その肉体を駆使する“相手の息の根を止めるための格闘技”に心底痺れる。その見せ方が、格闘技など素人のわたしにも得心のいくリアリティを持って迫って来る。一番近い敵から撃つ事、ビビって逃げ出そうとする敵も息の根を止める事、小さなナイフで急所を確実に狙う事、心臓は何度も突き刺す事…。ガチの戦闘で敵をどう“殺す”かというリアリティをこれでもかと見せつける。それは残酷でありながら舞いのように美しい。
戦いに赴く前に髪を刈る時のがらりと変わる印象にも驚かされる。
隠遁生活を送るうちに厚く覆った殻を脱ぎ捨てるように、鏡の前で自ら髪を刈るテクシ。誰にも心を開かずに死んだように過ごしてきた日々から、再び覚醒した姿が立ち現れる瞬間の鮮やかさ。
余談だが、いわゆる韓流スターと言われる人たちは顔の印象が薄い人が多いように思う。正直他の映画でウォンビンを観たら、わたしにはわかる自信がない(笑)。しかしそれだからこそ逆に、衣装や髪型や表情で別人のように感じさせる効果があるのかもしれないと思った。
ソミ役のキム・セロン、健気でイノセントでありながらほのかな色香をも漂わせるこの少女には、賞賛あるのみ。許されるならただ抱きしめたい、テシクのように。
寡黙な“暴力マニア”のロワン、この毛色の変わった、テシクに匹敵する技を持った殺し屋がただ一人タイ人というのも、役を際立たせていて面白い。彼が最後にとる行動も不思議と納得できる。
古いタイプの悪党オ社長、とことん糞野郎な臓器売買組織のマンソク兄弟、役立たずな刑事たち、ソミの万引きを責めない駄菓子屋の主人等々、脇役も皆個性的で面白い。
最後に、ネタバレ(今更?)
ソミが生きていると分かった時、死のうとしていたテシクの瞳に一瞬光が宿るさまは、とことん押さえた演出(演技)が最大の効果を生む忘れがたい印象的なシーンで、とても感動した。


